ガリバー観音崎へ上陸

ガリヴァー旅行記「ザモスキという小さな港町に上陸」

<div class='my_image_title'>長身のガリバーさんと侍</div>

ガリバ−旅行記の第3篇11章に日本に上陸した様子が書かれています。

1709年5月6日、わたしは、陛下と友人一同に心からお礼を述べて、別れを告げた。
陛下は、かたじけなくも、護衛隊に命じて、この島(ラグナダ国)の南西部にあるグラングエンスタルドという港まで、わたしを送り届けるようにしてくださった。


六日目に、わたしを日本まで乗せていってくれる船が見つかった。
十五日間航海したのち、わたしたちは、日本の南東部にあるザモスキという小さな港町に上陸した。


町は、長い腕のようなかっこうで北にのびている細い湾の西の岸にあり、湾の北西部にあたる所には、首都のエドがあった。
わたしは、上陸するとすぐ、税関の役人に、ラグナグ国王から日本の皇帝にあてた手紙を見せた。


(ガリヴァー旅行記 Jスウィフト作 坂井晴彦訳 福音館書店1988)

物語の中でガリバーが日本に来たのは、1709年となっており、日本では「生類憐れみの令」で知られる徳川綱吉がこの2月に亡くなっています。


1709年5月、ガリバーは、日本のザモスキという小さな港町に上陸しました。


一般的には、場所の説明から三浦半島のどこかとみられています。
ザモスキの綴りは、Xamoschi。Kannonsakiと比べるとXとK、mとnn、cとs、hとkを筆記体で
書くとよく似ています。アイルランドにいたガリバー旅行記の作者スウィフトは、徳川家康の
外交顧問であった英国人ウイリアム・アダムズ(三浦按針)の英国に送られた手紙をヒントに
ガリバーを観音崎に上陸させたのではないかといわれています。

旅行記では、ガリバーはここから、江戸に上がり将軍に拝謁した後、長崎から祖国のイギリスへ帰っています。

<div class='my_image_title'>観音崎</div>

ガリバー日本上陸300年

2009年5月には、ガリバーが日本に上陸して300年を迎えました。


世界的に知られるガリバーの上陸の地・観音崎は、
三浦按針(ウイリアム・アダムズ)が伊豆の伊東で造った120トンの船「サン・ヴェナ・ベンツーラ」が400年前にメキシコ
まで航海した歴史があります。


子どもたちにダイナミックな夢とアドベンチャーを語り継いでいきます。

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